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祖父について考える、  #終戦の日

台風が心配ですね、
気を配りたいと思います。

さて、本日は終戦記念日です。
(本日はいつもより増して、個人的なお話になります。一個人としてのお話になりますので、社内外の方々お許しください・・・!)


74回目の終戦記念日です。74回って本当に最近のことですよね。
戦争を知らない世代ではありますが、75年前はまだ、74年前の今日、という印象になります。

個人的には戦争の話は祖父からずっと聞いて育ちました。
祖父は大正生まれで、そういう世代の人です。
空軍に入り、パイロットをしていて、電気系に強い人だったので、モールス信号みたいな係もしていました。
父の勤めている会社の煙突に突っ込んだこともあって、その時の会社に勤めている人と、娘が結婚するなんて!
と何度も教えてもらいました。耳タコでしたが、ミラクルですよね。
捕虜にもなったことがあったり、実家でずっとうなぎを買っていてひもじい時に食べ過ぎてうなぎが嫌いになったこと。ご飯よりパン派なこと。

戦争が終わってからは、頭がいいので通っていた大学で教授になって名誉教授になって、最終的には旭日章まで頂いたりして
(祖父は全然自慢しなかったので、私はいつも周りに自慢していました。笑)
大学を辞めた後は自分の戦争の体験をまとめるのに精を出していました。
これは凄いんですよ、学校の平和学習の際にも使わせて頂きました。

そして、2016年当時のアメリカ大統領のオバマ氏が日本に来日した時のことをみなさん覚えていますでしょうか?

”戦争を知らない世代”からすると「あ、きっとすごいことなんだな」とニュース通りの反応をしていました。
その年に、祖父に会いに行った時に私は軽い気持ちで
「アメリカの大統領が広島に来ましたね、どう思いましたか?」と聞きました。
その時に彼は
「これは本当に本当にすごいことなんですよ・・・」
と普段は崩した表情を一切見せない祖父が、表情を変えたのを覚えています。
そこからは、私はそういう祖父の顔を見るのが怖くて聞いちゃいけない気もして、それ以上は聞けませんでした。でも、あの時の表情が全てでした。
原爆投下について、戦争についての謝罪がなかろうが、彼にとってはとっても大きな戦争からの一歩だったんです。
戦争へ行っていたのに、障害もない、奥さんや子ども、孫もいる彼は「幸せな生き残り」とされているけれど、心の中での謝罪と感謝と後悔と生きている喜び、様々な感情が混じっているように思いました。

彼以上に平和を望んでいる人を私は知りません。

そんな祖父も去年、93才でこの世を去りました。
いろいろ聞きたいな、と思って行った時にはもう遅かったです。
もっともっともーっと長生きして欲しかったです。

93才って聞くとすごく長く生きていますよね、
彼の人生は彼にしか分かりませんが、
あんなに厳かに平和を望んで、次世代に、と考えていた人を私はこの先会うことはないと思います。
そして、あんなにも前進しようと思っている人はなかなかいない気がしています。
彼のお陰で私は「戦争」というものが少しわかっているし「平和」ってなんだろう?と考えています。

今日は終戦の日、祖父母の思いがこれからもずっと続くようにできることをしていきたいと思います。

====本日の朝ドラ
あやみさん・・・(泣)

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実は昨日初めて体調不良で会社をお休みしたんですが、
同僚の方々「大丈夫?」って連絡くれたり、声かけてくれたりおやつくれたり、優しい・・・優しさプライスレスゥ・・・そういう人になろうと思うのでありました。

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